猪瀬直樹,2007,『作家の誕生』,(朝日新書・朝日新聞社・東京)

第1章 投稿という新しいネットワーク
第2章 スキャンダルとメディア
第3章 サラリーマンとフリーランサー
第4章 一発屋の登場と「文藝春秋」の創刊
第5章 文学青年二万人と市場の拡大
第6章 イメージリーダーの交代
第7章 事件を起こす,素材を集める
第8章 センセーショナルな死
第9章 自己演出の極限を目指す

漱石朝日新聞小説記者という肩書き

夏目漱石朝日新聞社員として小説を連載しはじめるのは,明治四十年である,/朝日新聞は大阪が起源である.明治十二年に創刊され,東京へ進出するのは明治二十一年になる.自由党機関紙めざまし新聞を買収して東京朝日新聞とした.翌年,大阪の朝日新聞の題字を大阪朝日新聞と改めた.経営者は同じだが,別会社の形をとっていた.このとき大阪の発行部数は四万部,東京は一万部程度だった./新聞購読の習慣が定着するようになると部数も伸びてくる.連載小説が人気を博するようにもなる.夏目漱石が入社した明治四十年には大阪朝日は十四万部,東京朝日も八万部に伸びて赤字経営から脱しかけていた./(中略―引用者)/漱石は,教師を辞めて作家専業では食えない,と思っている.明治末のメディアのマーケットはまだ小さい.そこで朝日新聞小説記者とする,つまり社員である,と説明して,年に一度,百回ほどの長篇小説を書くことが主な条件で月給二百円を提示し,ほかに盆暮の賞与を約束した.漱石帝国大学講師として得ていた年俸は八百円,一高講師として七百円,したがって収入は二倍に増える(一千五百万円が三千万円に増額されたぐらいの感じ).*1

文壇と文士.サークル,サロン,マーケット

(大正八年すぎと思われる―引用者注)文壇と滝田の『中央公論』は同心円のように重なり合っていった.有力な雑誌に場所を得るか否かで作家としての名声は決まる.その頂点に総合誌の『中央公論』が鎮座した.投稿誌の王者『文章世界』も新興勢力の文芸誌『新潮』もすでに『中央公論』には及ばないのである./文士たちが集まれば,そこはとりあえずは文壇と呼ばれた.早くは尾崎紅葉硯友社,つぎは夏目漱石漱石山房,いずれも弟子たちが慕って集まった.仲間褒めと仲間批判が展開された.そのころの文壇は一種のサロンであってマーケットではない.直接,仕事にリンクしたわけではない.明治時代のぶんだんはその程度である.だが滝田と『中央公論』に認知されることは,マーケットでの生存の証明となった.そこいらのサロンにたむろしている文士志望者の評判と作品に,鼻をくんくんさせながら近づくのが滝田である.彼にスカウトされ,つまり人力車が横付けになり,『中央公論』に作品が掲載されれば,自動的に他の雑誌からの注文が殺到する.すなわち文壇の一員を意味した.少なくとも大正時代の半ばにはそうなっていた.*2

文壇=マーケットという言い方は,今の文壇をあらわすにしろ語弊がないか?文壇というと作家の集団か作家の世界かを現すようなイメージだけど,マーケットというと,作家自身を含めた出版業界や読者たちまでもを含むものだろうから.あと,この指摘自体(明治にはマーケットとして成り立ってない)も要検証.

菊池寛の経歴

高松中学での成績は良かった.高等学校へ進みたかったが仕送りのあてがない.実際,長兄が高松師範を出て教職に就いて父親の代わりになった.東京高等師範に入学するが一年で除籍,明治大学の法科には三ヶ月,そんな紆余曲折を経て一高に入った.一高も退学して結局,京都帝大を卒業,東京に戻ってきたのは二十七歳,就職口は見つからない.篤志家の世話で時事新報に就職した.対称五年である.『中央公論』十月号に芥川の「手巾」が掲載されたのを横目で睨みながら,巷間を走り回る社会部記者生活をはじめた.月給二十五円,手当て四円である.その間にこつこつと原稿を書いて同人誌に発表していた./大正七年,初夏.時事新報の仕事を終えて帰宅すると,牛込区南榎町の路地裏の男便所も付いていない家賃九円五十銭の粗末な家の前に,自家用の人力車が停まっていた.菊池寛は,直感的に理解した./「ついに,あの滝田の人力車が来た」*3

菊池寛と小説家協会設立

菊池は前年六月に小説家協会の創設を試みている.創立総会に提出された「趣意書」には「我々の生活を少しでも安定させたいために,一種の職業組合,共済組合を作る」と目的が述べられている.菊池のほかに芥川と久米正雄ら十数人が発起人に名を連ねた./鷗外は陸軍医,漱石朝日新聞小説社員として固定給を得た.菊池や芥川や久米の時代になると雑誌の原稿料を糧とする作家,島清や賀川のようにベストセラーで巨額の印税を手にする書き手が現れた.だが生活はマーケットの波間に浮き沈みし不安定だった./菊池は考えた.「会員及びその家族疾病の場合は一ヶ月三十円以上百円までの補助をなすことあるべし」「会員志望の場合は弔慰金として金二千円を贈与す」という規定があれば,病気になっても大丈夫だ.財源は「会員が著作を単行本として発表死たる場合は,印税の百分の一を二分し,各その一分を会員と出版業者の双方より,本会に寄付」させればよい.会員資格は「著名なる文芸誌ないし新聞に五篇以上の小説を発表したることのある者」「小説の単行本を二冊以上発行したる者」とした./ところが社会主義思想にかぶれ,貧しい人々を救え,と呼号する勢力が文壇で注目を集め始めた時期で,有力作家しか会員になれない制度と曲解し,菊池を「成金思想に浸り切っている」と批判する.これも菊池が,新思想の偽善性に嫌気がさした一因であった.*4

井伏鱒二と文学青年

一九八九年生まれの井伏鱒二も福山から上京した.井伏は『荻窪風土記』で大正末年の東京の青年たちの姿を,こんなふうに評している./「当時,東京には文士志望の文学青年が二万人,釣師が二十万人いると査定した人がいたそうだが,文学青年の殆どみんな,一日も早く自分の作品も認めてもらいたいと思っていた筈である.早く認められなくては,必ず始末の悪い問題が起こって来る.私も早く認めてもらいたいと思っていた」/大正十二年,井伏鱒二は二五歳,早稲田大学仏文科を中退した翌年,収入のあてもない.*5

作家になる仕方に迷うはざかいの太宰.とりあえず大学にいる.

作家になりたい,芥川龍之介のような作家になりたい,いやいまは小林多喜二プロレタリア文学だ,と津島修治は迷った.迷いながら自分の資質や体験が小林多喜二と似て非なるものであることに心の隅では気づいている.気づいていても,作家になるためには手段を選んでいられない.プロレタリア文学が流行であっても,谷崎潤一郎永井荷風も気取ってみたい.とりあえず東京帝国大学に在学したままデビューの機会をうかがうのである.*6

ウッドビー作家の太宰.同人誌でいろいろ活躍してたり山本実彦に直接原稿を持ち込んだりしている頃.大学にいるというのはとりあえずの身分確保ということなのか.学生であれば作家になれなかったとしても就職するていう道は残るわけやしね.上の文章は猪瀬さんの推測もふんだんに入っているはずであるし.

太宰と芥川賞

(太宰の―引用者注)三度目の自殺未遂は昭和十年三月である.二十六歳になっても卒業の目途が立っていない./『文藝春秋』一月号に「芥川・直木賞宣言」が載った.賞金は五百円と記されている.そればかりでなく受賞者には「芥川賞委員」「直木賞委員」が「広く各新聞雑誌へ引続き作品紹介の労をとる」とあった.賞金はたいしたことないが,それでも約半年分の仕送りにあたる.芥川賞委員には,菊池寛久米正雄山本有三佐藤春夫谷崎潤一郎室生犀星小島政二郎佐佐木茂索瀧井孝作横光利一川端康成の名があった.彼らが作品紹介の労をとってくれるなら,こんな近道はない./修治は伊馬春部に,どこか発表する場を探してくれ,と懇願した./(中略―引用者)/伊馬春部はうなずいて改造社の『文藝』なら新人の短いものも載せるのでなんとかなりそうだ,と答えた.「逆行」は『文藝』二月号に載った.太宰治というペンネームが始めて商業雑誌に載った.*7

第1回芥川賞落選の太宰と友人山岸外史

山岸が落選見舞いに行き,慰めると喰ってかかった./「山岸君だって,もっと佐藤さん(佐藤春夫―引用者注)に売り込んでくれたらよかったのだ.これ以上の傑作はない,絶対に保証すると言ってくれたら……」/山岸は,いい加減にうんざりした./「佐藤さんは努力したんだ.君の作品を推したのは佐藤さんだけなんだぜ.佐藤さんのせいにしてはいけないよ」/太宰はそれでも承知しない./「石川達三のどこが偉いんだ.俺のほうがずっと……」/「君のは文壇への執念であって,文学への執念じゃない.君は落選したほうがよかったんだ」/山岸がつい口走ってしまった言葉は正鵠を射ていた.太宰は作品を発表したかった.それは作家として世に出て芥川のようなスタアになることと不可分でもあった.書くだけでは仕方ない,名声を得ること,二万人の文学青年のひとりとしての不確かな自分に実在感をもたらすのはメディアなのだ,と本能的に見通していた.*8


■雑記
目のつけどころは面白い.「売れなければ作家でないのか.売れたら作家なのか.太宰治芥川龍之介の写真をカッコイイと思った.文章だけでなく見た目も真似た.投稿少年だった川端康成大宅壮一,文豪夏目漱石の機転,菊池寛の才覚.自己演出の極限を目指した三島由紀夫,その壮絶な死とは*9」.だけれど後半部分はその着眼点をほったらかしにして,ただの太宰伝記,三島伝記に終わってしまった感があり残念.それに冒頭の問題意識(売れなければ…)は,三島の死によって終わるわけではなくって,今現在も続く問題ではなかろうか,とも思う.

*1:pp.54−5

*2:pp.61−2

*3:pp.70−1

*4:p.80

*5:p.101

*6:p.144

*7:pp.153−4

*8:pp.166−7

*9:カバー折込部分.強調部分は原文大フォント